「自分の時間を生きる」ということ。~SNSも要らないと思う~
こんにちわ!
福岡市平尾で小さなお店をやっているカミヤと申します。
今日は「急に何かに目覚めたのか?」というようなタイトルですが改めて「人生」や「時間」について再認識しようという感じです。
怪しげなセミナーや宗派や著作にハマっている訳ではないので安心してください。
〇ホリエモンの「電話に出ない」戦略について
昨日今日知った話では無いのですが、最近ホリエモンさんの著作「他動力」の関連の記事を読みまして、「ああ、確かに出来る限り電話に出ないような人生を送りたいなあ」と再認識しました。
これは何かを批判したい訳では無いのですが、かつて正社員時代は、支店の電話、個人の配布携帯にひっきりなしに電話がかかってくることもあり、あれは大きなストレスであったとも思います。
最近はどうかと言うと、正直今は新たに人と繋がるのをできるだけ回避しているところがあるのでお店関係では営業電話と知人の適度な電話しか掛かって来ませんが、それだけでも重なると疲れの一因になりますね。
文明の機器なので、かつて伝書鳩ぐらいしか無かった時代と比べると電話のお陰で本当に便利な時代になったと思いますが、それゆえの辛い所もある世の中のように感じます。ちなみに自分は電話が来たら基本的にすぐ出ます、折り返しもすぐやる派です、
そんでもってホリエモンさんの話の一つを要約すると「自分の人生を(楽しく)生きる」ということでその楽しさ(と時間)を奪う人/物からは距離を取れ、という感じだと思いました。
死ななければあと2年で30歳を迎える自分にとって改めてこれは大事なトピックだと思います。
〇自分の時間とは
私は今28歳手前の独身男性で、3年ほど前に2年程度勤めた正社員の職を辞めてから、なんだかんだ自分の時間を大いに歩んでいると思います。私は「フリーランスになろう!自分の人生を生きよう!」と大手に言って振る舞うタイプではなく、むしろ今の社会ならまともな人間なら未来の明るい大企業に勤めることが基本的に一番幸せな生き方ではないかとも思ってますので、そういったCM的な「自分の時間」とは距離を置いた無装飾的な意味での「自分の時間」を歩んできたという意味合いで使いたいと思います。
どうなのでしょう、そもそも自分の時間を生きていると感じるのは大体自分の気持ち次第のように感じます。
例のアドラー心理学のように(おすすめは⇒『嫌われる勇気』) 自分の課題と他人の課題をしっかり分けることももちろん大事だと思いますが、結局は「自分が後悔しないように生きる」ことが「自分の時間を生きる」ことであり、要は他人の人生に時間を使ってると将来的に後悔が残るから、それは避けよう。と自分なりに結論付けています。
会社を辞めてから、基本的に貯金は減る一方で、先月当たりからやっと光が見えてきた感じはありますが、ただの自営業であり大した特技や成果や現金も持ってない僕の社会的なステータスは散々です。
ただ、それはそれとしても最近はかなり幸せです(ストレスは余り無いです)。
既に人生覚悟しているから、という感じもあるかもしれませんが、いい意味で「自分の時間」を過ごせているのではないでしょうか。
30歳までに人生を一度終わらせる、という区切りの感覚で生きることを意識していることも理由かもしれません
〇SNSは要るのだろうか。
(Social Networking Service)、調べたらLINEもこの部類なんですね。勝手にLINEは別物だと思ってましたが要はFacebook, Twitter, Instagram に代表される人と繋がるサービス界隈の話です。
別に0-100の話をするつもりは無いんですが僕もお店のツイッターアカウントで色々巡回してると、たまに「ああ、ほんとはSNS要らねえなあ」と思ったりします。元々長期的に各SNSにハマったことは無いタイプだったので、所謂普通の人の発信する個人情報に冷めてるところがあるのかもしれません。
これらのツールにどっぷり漬かっている人には申し訳ないんですがかなりそう思います。何らかの公式アカウント、重要な情報を持った人の発信、大事な友達の情報、その気になれば必要と感じるような情報だらけですが、やっぱり蓄積すると疲れてしまいますね。つながる人が多ければ多いほど。
〇お店のアカウント(facebook/Twitter/Instgram)を更新する日々
一応お店のアカウントとして上記三つは作って定期的に更新しています。
Twitter はかなり個人アカウントじみて来て、Facebookはある程度固い情報発信に使い、Instagramは最近放置気味です。ただどれも使ってて「本心で楽しい」と思うことは無いです。やっぱ3つは多いなあ~。
〇SNSほぼ全く使わないけど幸せそうな人
人の内情は覗けないので実態は分かりませんが高齢の人でLINEと電話とメール以外、もしくは電話以外は全く使わない、と言う人もまあまあ居ますよね。友達の一人や自分の親もそうです。
でも結構問題なく生きていけてる雰囲気があって、世代のせいかもしれませんが、できれば自分もそうありたいなと思ってます。
「森で2泊3日スマホを完全オフにして過ごそう!」といったサービスを利用する予定は今のところは無いですが...。
〇自分とあとはせいぜい自分の家族のためだけに生きる
ちょっと達観じみて来ているところもありますが、ホリエモンとアドラー思想の話をごっちゃに混ぜつつこのタイトルを考えた結果、最終的には「人のために生きない、のちに後悔するような時間を過ごさない、不幸を感じないように動く」を看板に今回の話を着地したいと思います。
とにかくよく分からない(しなくてもいいと感じる)ことで消耗しない人生を送りたいです( ´艸`)。
もう本心的にはいかなる集団やグループや集まりにも参加したくありません。だいたい楽しくないです。経験不足はマズイと思うので完全シャットアウトというつもりはないんですが、、、微調節ですね。
「若い時の苦労は買ってでもしろ」と言う言葉もあり、色々な道を巡って人生は収束していくと思いますがそれはそれとして回避できるものは回避したいです。
僕の今の感情としては自分の大事なものは少なめで、家族と、あとは自分くらいで...。
そういう意味では自営業は楽と言えば楽ですね。。。お店にしても自分でルール作れますし店の雰囲気からも「ああ、この人は自分ルールで生きてる人だ」と察してもらえるところもありますから(もちろん接客や礼儀の部分はまた別)
将来的な保証は死んでる感はありますが。(笑)
〇(無自覚に?)失礼な接触者について
最近こんなことがありました。
FacebookのDM経由で「ブログ見ました!」と連絡を下さった大学生の方がおられたのですが長文の話の内容はともかく「私になら(タダで)何をたくさん聞いても構わない」と思われた感があり、客観的に見たら一方的に質問を投げかけられ
卒論の題材か何かよく分からない所でしたが「あまり色々聞かれても困りますし私は最近新しい人とそれほど関係を作らないようにしているタイプで、卒論応援してますが双方リスペクトが大事だと思います」という感じをさらに柔らかくして返した所何度かやり取りがあっての最中でしたが返信はパッタリ途絶えました。本当はその言葉にどう思ったか捨て台詞でもいいので聞きたかったです。
「他人の人生を無自覚に使うことに躊躇が無い」人の一例のように感じてしまったのでこれも加えときます。
このその方が記事も読んで下さってたら申し訳ないのですが自分はそういう認識です。
皆さんも可能な限りの良い日々を送って下さるよう願っております。
最近お店の内装を少しずついじくっています、小学校中学校の工作のようなワクワク感です。ありがとうございました。では!